嵐、活動休止に寄せて
まだ気持ちの整理がついたか、といえば、ついていない。かといって、時間が止まってくれるわけでもない。少しずつ受け入れるために、今ここを開き、この場で気持ちを綴ってみることにした。
発表され、メールが届いた時。私は東京駅にいた。父と、母と、バームクーヘンを買うために並んでいた。そんな時になったメールの着信音。見慣れたJfcから始まるアドレス。開くと、
「嵐からのお知らせ」
嫌な予感はした。母は、「あー、結婚するんだ、」と呟いた。
動画よりも先に、文字で知った真実は
「嵐を2020年で活動休止とする」
頭の中は真っ白になった。パニックに陥った。意味が分からなかった。
母はバームクーヘンを買うためのお金の計算を間違えた。どうやってどのお金を出せばいいか分からなくなっていた。
私は東京駅の柱のそばで動画を見ながら、泣いた。動画の中で、少しも笑わない大野くんに、泣いた。少しでも和やかにしようとする他の4人に、泣いた。大好きな翔くんの、大好きな言葉の紡ぎ方に、泣いた。
ずっと、ずっと、そこで泣いていた。
立ち上がることなど出来なかった。それでもここでずっとめそめそしてるわけにも行かず、働かない頭のまま両親と別れ、1人で暮らす家に帰った。母はこのまま、一緒に地元に帰ろう?と言った。わたしは、1人でこの現実と向き合う時間が欲しかったから、断った。
家に帰るまでに涙は止まっていた。気付いたら、止まっていた。でも、何か心にぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ちだった。
無意識に棚から「嵐の嵐会」のDVDを取り出し再生していた。そこには、わたしの知っている楽しくて賑やかな嵐が自分たちのライブ映像を見ながら食事をしていた。自分でも驚く程、気持ちは穏やかだった。
午後10時、報道番組をつけると、そこにはつい2時間前に記者会見を行っていたわたしの大好きな人たちが映っていた。
嵐はそのような場でも、嵐だった。
決して笑えるような内容ではない記者会見で、笑っていた。嵐も、記者も、わたしも。笑っていた。
ずっと見てきた嵐が、変わらない嵐がそこにいた。
笑いながら、泣いた。涙は止まることを知らなかった。ずっとずっと、泣いていた。
多分、まだ泣ける。ずっと、泣ける。
でもきっと、ずっと泣いてるわけにもいかないし、横になってやだよーってもがいてるわけにもいかない。時はすぐ流れていくものだから。
残酷だけれど、貴方が、貴方たちがいなくても、世界は回ってしまう。
まだ笑顔でいられないし、納得はしていないし、受け入れられてない
けれど、嵐を好きになったことをとても誇りに感じた。
これだけ愛され、慕われ、祝われ、悲しまれる嵐は、本物の意味でのスーパーアイドルであり、そんな人たちを応援できていることに誇りを感じた。
嵐のファンでいてよかったな、って。
それから、"5"という数字にこだわり、嵐は"5"人だから、という姿勢を貫いてくれたことが本当に嬉しかった。わたしも"5"人の嵐が大好きだから。
大好きな人が「誰か1人の思いで、嵐の将来を考えることは難しいけれど、他の4人の思いで誰か1人の人生を縛ることはできない」
という言葉を言っていて、わたしはそれが1番胸にきて、2年も話し合いを重ね、やっと着地点が見つかった嵐の、互いが互いを思う姿勢に、感動した。20年以上一緒にいて、嵐という組織を作り温めてきた彼らだからこその想いなんだろうなあって思って。
今はただ苦しい。未来なんか来なければいいと思う。嵐のない日常など考えられないし考えたくもない。
でも彼らの気持ちを想いをムダにしないためにも、この残された時間の中、できることがあるのではないかと思う。
当たり前が当たり前じゃない、そんなことは昔からわかってたけれどもう一度再認識させられたし、何より、嵐は嵐らしく2020年まで走り抜くのだ。わたしも、わたしらしく嵐と一緒に駆け抜けていくしか、残された道はないのだ。
いろんな歌が頭によぎるけれど、すべて全て愛おしい。
こんな好きな人に出会う季節は2度とないし、100年先も愛を誓いたいし、多分、あの時彼らは互いの道を歩こうと決めたんだろうし、いつか笑ってまた再会したいし、言わないけど初めての深い愛おしさは、嵐だし。
最後まで、笑っていよう
嵐がそうするなら、できるだけわたしも、笑っていられるように、
今はもう少し気持ちの整理がつくまで、貴方たちが繋いでくれた友達と好きなだけ泣いて、喚いて、文句言って。でも、最後にはわたしたちも、笑っていられるように。
大丈夫。嵐は、ずっと5人だよ。
骨の髄の髄まで嵐だよ。
その言葉を信じて。
大好きで大好きな貴方へ、貴方たちへ。
ありがとう、もうちょっと、よろしくね。
"5" is our treasure number